2019年8月27日火曜日

美しい藤原京のホテイアオイ!

藤原京のホテイアオイが今まさに満開だ。
藤原京とは、奈良県橿原市と明日香村にかかる飛鳥時代の都。694年から710年までの16年間、古代日本の首都だった。

古都の名前としては平安京や平城京に劣るものの、都の規模は25k㎡と、平安京や平城京に比べても大きかった。

圧巻の風景

ホテイアオイは、藤原京の本薬師寺跡の周囲を取り囲むように咲いている。

本薬師寺は西ノ京にある薬師寺の前身の寺で、いまでは小さなお堂と金堂の礎石、東西両塔の上壇等を残すのみだが、東に香具山、北に耳成、西に畝傍山を望むことができる景色の美しい場所である。

そんな本薬師寺と大和三山をの間に薄紫色の絨毯を敷いたように花が咲いている。
正確な株数こそ不明だが、数万は楽に超えているはずだ。

水栽培で見慣れているはずの花なのだが、これだけ揃うと圧巻だ。


しかし、この光景こそが藤原京をわずかな年数で捨てなければいけなかった原因のひとつだったと考えられる。

古代の都としては申し分のない規模だったはずなのだが、藤原京は水捌けが悪い。
晴れた日に大極殿の周囲を散歩していても、道はあちこちでぬかるんでいる。これでは疫病が蔓延したはずだ。当時の人々も数年住んでみて音を上げたのだろう。

古代の都の都市開発も、相当難しいかったに違いない。


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2 件のコメント:

なすび さんのコメント...

15年位前に一度行ったことがあります。
普通の公園ぽかったですけどね。
今はこんな風になっているんですね。

しかし、水はけが悪いなんて昔の人だって分かると思いますけどね。
何か他の理由があるんじゃないでしょうか。

だいきち さんのコメント...


なすびさん、こんにちは。
コメントを頂いていたのに数か月も気が付きませんでした。誠に申し訳ありません。

藤原京が平城京へ遷都となった理由は、日本書紀にも記載が無く、本当のところ何故だか分かりません。

水はけに関しては全くの個人の感想ですが、南東が高く北西が低い地形のため、汚物を含む汚水が宮殿近くに流れ込み疫病が流行したとの話しは残っているようです。

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